唯一の岡山児島 一貫生産の黒デニム

岡山デニム。昨今よく耳にするこの言葉。メイドインジャパンのデニムといえば、世界的にも代表的な存在と言える。デニムの聖地岡山県倉敷市児島。よほど盛り上がっているのだろうと菊田参号自身思っていた。しかし知っているだろうか。その児島という土地で、一貫生産でデニムを作っているのは「たった一社」しかないということを。

株式会社ショーワ。それがその一社だ。
SANGOUとの出会いはインスタグラム。なんとも現代的だが、まだ繋がっていない誰かとの繋がりにもなるということは素晴らしいことだ。SANGOUで上げていた投稿がたまたま、営業担当の平井氏の目に止まり、わざわざ東京まで生地を持って見せに来てくれたのだ。まずその心意気に感服。心を打たれたのは言うまでもない。

しかし、その時点ではSANGOUでデニムをやるつもりは毛頭なかった。その理由は、SANGOUで作るまでもなく、すでに素晴らしいデニムが世界には大量に存在しているからだ。そこにわざわざ参入していくほどのデザイン力も、技術もSANGOUには無い。その上、菊田参号自身が欲しいデニムと言うものが、現行のそれで満足しており、困っていると言うことがなかった。

メーカーが出しているもので、それだけでSANGOUのデニムが他との差別化になるとは思えなかった。
それがデニムをSANGOUでやらない理由だった。

 しかし平井さんとお話をさせていただいている中で、その思いは大きな変化を遂げることになる。

前述の通りだが、まず岡山デニムというものの認識が大きく変わった。盲信的に「岡山デニム」と言うものが盛り上がっているのだ、と言う認識だったが、その実、児島という聖地で一貫生産をしているのはたった一社なのだ。つまり本物の児島デニムはたった一社でしか作っていないということ。そのことを多くの日本人が知らないことだろう。

 そしてもう一つ。この理由がSANGOUでデニムをやるきっかけになった。ショーワでデニムを織っている機械。それが豊田自動織機の旧式力織機「GL-3」を使っているということ。これには何かしらの運命めいたものを感じた。現在SANGOUの代表作となっている「冠衣」。

その伊勢木綿もまた豊田自動織機を使用しているのだ。「冠衣」に合わせるデニム。これはもうショーワに作ってもらうしかない。平井氏と話終える頃には、そういう想いになっていた。

その後、デニムをやることを決めた菊田参号は、岡山に飛ぶ。とにかく現場にいって人に会ってみるのが信条だ。社長の高杉氏や副会長の片山氏にご紹介いただき、SANGOUのコンセプトをお話したところ、あたたかく聞いていただけた。平井氏に案内していただき、工場を拝見する。すると現場に立っている高齢の方に話しかけられる。後に伺うとなんと会長さんというではないか。いまだ現役で現場に立っておられる姿勢には、社長さんとお話させていただいた時にも感じたのだが、なんともあったかい空気に満ちた素晴らしい会社と感じた。繊維業の生産地が急速に中国およびその周辺国にシフトしている中、コストではなく日本でしか出来ないことにこだわり、ものづくりをしているその姿勢に胸を打たれた。

そんな流れでSANGOUデニムは始まった。しかし、当たり前のものを作っても仕方がない。素晴らしいデニムが世の中には溢れている。そこで自分が欲しいがなかなかないものを作ろうと考えた。それが太めのブラックジーンズだ。最近はとにかくスキニーが流行しており、ストレッチの効いたタイトなジーンズが多いように思う。それに加え、黒のデニムが圧倒的に少ない。なかなか見かけない。もちろん大手のメーカーからは出ているが、それ以外であまり選ぶ余地がないように感じる。
そこでSANGOUのデニムは、不良っぽい太めのブラックのデニムということになった。菊田参号の好みがまさにそれなのだ。無骨で硬いデニムにこそ男気を感じるのだ。
生地は先述のGL-3で織られた「セルビッチデニム」を使用。防縮の効果のある「サンフォ加工」のみを施した「リジットデニム」だ。防縮以外は生の状態なので、冠衣同様にこれもまた「育てるデニム」ということになる。本物の「岡山児島のデニム」。しかも歴史のあるGL-3で生み出された「セルビッチデニム」。ポケットとパッチには「伊勢木綿」を使用している。冠衣同様に「育てて」いくことが楽しいデニム。長く履いていただきたい。

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