綿に戻る糸 伊勢木綿の柔らかさの秘密

 SANGOUを始めるにあたり、如何しても必要なものがあった生地。それも「10年着られるTシャツ」を実現しうる生地だ。革ジャンやデニムのように、着れば着るほどに味が出る、風合いが上がる、育っていく生地。そんな夢のような生地を求め、あらゆる糸、製法を調べ尽くした。しかし、そう簡単にいくものではなく、早々に行き詰まってしまった。
 ある時、あてもなくネットを徘徊していると、気になる記事を見かけた。「自宅で洗える木綿の着物」だという。調べてみると木綿で出来た生地で仕立てている着物で、その生地の名を「伊勢木綿」という。見つけた、これだ。
 江戸時代から250年以上続いている三重県指定伝統工芸品の布「伊勢木綿」。撚りの弱い糸を使用しているため、洗っていくうちに糸が綿(わた)に戻ろうとしてどんどん生地が柔らかくなっていく、という特徴を持っている、ということだった。まさに理想の生地であった。「育つ生地」これはまさに一生付き合えるTシャツにふさわしい生地なのではないか、といささか興奮した。そこで早速、電話にて臼井織布株式会社に連絡を入れ面談・見学を申し入れた。社長の臼井氏には快く承諾をいただけたので、その足で三重県津市の一身田に向かった。

 一身田に着くと、落ち着いた田園風景の中に、雰囲気のある街並みがあり、なんとなく地元の宮城県を思い起こされるような暖かい町の匂いがした。そんな中にひときわ重厚な匂いを醸す建物があった。歴史を感じざるを得ない重厚な雰囲気。それが臼井織布株式会社であった。門を叩くと奥に通していただき、社長の臼井氏と対面。伊勢木綿の歴史、特徴、そして津市の名物である「うな丼」についての熱いお話を頂戴したのだった。

室町時代の綿の種の伝来以来、伊勢地方は土・水・天候等に恵まれて綿の一大産地となり、最高級の木綿との評価を得た。伊勢参宮のみやげに津の街道で名物の一つとして売られたり、江戸から戦前まで日常着として全国の人々に愛用されるなどして、当時の伊勢商人達の経済的な基盤を作りあげた一品であった。

かつては農業の副業として始まった木綿づくりも伊勢商人の手により江戸へと販路は広がり伊勢の国からきた木綿を「伊勢木綿」と称し、今日も全国津々浦々でその名を耳にするようになった。国内最高級の純綿糸を使用し、明治時代から受け継がれた機械を使って当時と変わらぬ製法から生まれるそれは、綿とは思えないほど暖かく、シワになりにくいのが特徴。一般の綿は洗えば硬くなるのに対し、伊勢木綿は洗えば洗うほど、着れば着るほどにやわらかな風合いが出てくる。その秘密は糸(弱撚糸)にある。強く撚りをかけずに綿(わた)に近い状態の糸を天然のでんぷんのりで固めて、昔から変わらぬ製法でゆっくりと織っていくという点にある。洗っていくうちにのりが落ちて、糸が綿(わた)に戻ろうとするため、生地がどんどんやわらかくなっていくという。


伊勢木綿を織るに欠かせないのが歴史ある豊田式の自動織機だ。明治時代に初代より受け継がれた、今では製造廃止になってしまっている豊田左吉による名機である。実際に工場を見せていただいたのだが、実に雰囲気のある、なんとも言えないかっこよさを持つ機械であった。「ガッシャンガッシャン」と100年以上もの時間、その場所で伊勢木綿を織り続けた故に生まれる雰囲気は訪れる者を圧倒する。

メンテナンスは5代目である臼井氏が自ら行なっているという。伊勢木綿を一反(13m)織るのに機会一台で丸1日を要する。その生産スピードは決して速くはない。むしろこの時代では非常に効率が悪いと思われてしまうだろう。しかし最新式の生産効率もよく、速く、勢いのある織機で織ることは出来ない。

伊勢木綿は柔らかな単糸を使用するために、大量生産をしようとすればその不可に糸が耐え切れずに糸切れを起こしてしまうのだ。単糸(たんし)というのは一番ベーシックな糸であり、強度は強くない。それは、切れやすくて織るのが非常に難しく、いい綿を使った単糸でかつ、丁寧に、作業をしないと織ることすら困難。それを手間と時間を惜しまずに織り込む事で、柔らかな肌触りを残しつつ、長く着ていける丈夫な反物に仕上がるのだ。

 現在では、化学繊維の発展や生活の洋風化が進み、木綿の需要が激減している。生産効率や手間のかかる製法も合間って、近隣の木綿業者は次々と廃業に追い込まれ、今では伊勢木綿を生産しているのは臼井職布一軒のみとなっている。
 この大変に貴重な伊勢木綿をSANGOUは使用している。本来織物というものは着物の生地なのだが、仕様や形に工夫をする事で「ラフに気軽に着れる着物」を実現した。まずは10年、付き合っていただきたい。

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