着物の袖の洋服?現代の着物スタイルって何?
<<<JAPANISE URBAN KIMONO STYLEをコンセプトに京都を拠点に展開しているSANGOU。
ファッションに「前のめり」の姿勢ではない人にはどのように感じるのか。SANGOUの服に興味がある方も、初めての方もぜひご一読を。>>>
「SANGOUの服を着ることは正直少し怖かった」
袖、長すぎない?自分史上最も長いであろう服の袖に腕を通した日の感想だった。誤解のないように言っておきたい。この服は、カッコいいと思っている。思ってはいるのだが、「自分が着る」となると少し話は違った。
僕の普段の服装は、なんとなくユニクロやGUで買ったものや、大好きなディズニーキャラがプリントされたものを着ていることが多い。ここぞ!の服がほしいときも、どこか自分のセンスを信じきれず、おしゃれな友人に選んでもらっている。ファッションに全く興味がないわけではないが、そこまで前のめりでもない人間だ。
そんな自分にとって、SANGOUの服を着ることは正直少し怖かった。僕のようなものの袖が長くていいのだろうか、と。SANGOUはファッションへの感度が高い人や、カルチャーに造詣が深い人が着ているイメージがあり、自分とは遠い場所にあるものだと勝手に思っていた。
和の心」を大切にしているような所作
でも、実際に着てみると、その違和感は少しずつ心地よいものに変わっていった。
先日、家族でお寿司を食べた。遠くのサーモンに手を伸ばそうとしたとき、袖に醤油がつきそうになった。咄嗟に袖を逆の手で押さえ、自然とゆっくり手を動かしていた。そのときの自分は、いつもより少しだけ丁寧だった。実際はそそっかしいだけなのだが、「和の心」を大切にしているような所作が生まれた。服を雑に扱わないようにした行動で、気づけば自分の振る舞いまで変わっていた。それはそのまま、自分の扱い方にも繋がっていくのだと感じた。
外に出たとき、ふと風が袖の中に入ってきた。普通のTシャツではあまり感じたことのない感覚で少し驚いた。それはとても気持ちがよかった。服に余白があることで、体の感覚が自分に戻ってくるような気がした。
腕を組んだとき、袖の中に手を入れている自分に気づいた。その収まりがやけに心地よく、そこにある空間は妙に落ち着いていた。「長くない?」と思っていた服の余白が、どこか自分だけの領域のように感じられた。これは服というより、空間だった。服と自分の間に距離が生まれ、綿100%という素材のやわらかさも、その距離を静かに支えているようだった。
新しい自分のことを、少しだけ好きになれた
最初は、外側ばかり気にしていた。似合うかどうかといった、見え方のことばかり。けれど実際に着てみると、意識は少しずつ内側に向いていった。動き方や距離の取り方、袖の中にできる小さな空間。それは、僕にとっての「服を着る」という行為そのものの捉え方を、少し変えていたのかもしれない。
そこから先は、いつもの日常だった。
地下鉄で隣に座る人とかすかに袖が触れた。以前なら気にも留めていなかった距離だ。僕はゆっくりと自分の袖をたくし寄せた。そこには、何か物語がはじまりそうな余白があった。向かいの窓ガラスに映る自分が、少しサマになっていて気持ちが上がった。
袖振り合うも多生の縁、という言葉がある。わずかな出会いにも意味があるという仏教の考え方だそうだ。こうしてSANGOUに触れたことも、縁だった。そしてそこから知れた新しい自分のことを、少しだけ好きになれた。
自分の距離感でSANGOUの服と付き合う
もしよければ、あなたにもSANGOUに触れてみてほしい。僕みたいな人でも、自分の距離で袖を通してみるくらいでちょうどいいと思う。合わせ方が分からなかったら、誰かに聞いてみてもいい。僕は参号さんに聞いた。不安だったので。それもまた余白だと思う。

