2025/08/29 00:10


僕の名は、菊田参号(きくたさんごう)という。
この名前でグラフィックデザイナーとして活動したり、髭達磨というバンドでドラムを叩いたり、はたまたその名を冠した「 SANGOU」というブランドをやっている者だ。

僕は仕事上、本当に多くの人とお会いする。
もちろん名刺交換もたくさんする。

もうこれは僕の中ではあるあるなのだが、はじめて出会う人に必ず聞かれることがある。それは名前の事だ。

「参号さんって、、、本名ですか?」
ほぼ全ての人にこれを聞かれる。

「いいえ、あだ名です。」
そして必ずこう答えて、どうしてそんな名前になったのかの説明に入る、と言うのが毎度のパターン。いつもは手短に説明するのだが、この名前についてつらつら書いていこうと思う。

僕は、もうずいぶん長い事「参号」と言う名前で生きてきた。
この名前が付いたのが16歳の時だったと思う。
現在が43歳なので、もう「参号」と言う名前とも27年の付き合いになった。

当時、僕は高校生バンドマンだった。
「音楽でプロになる!」を、目標に本気になって音楽活動に勤んでいた。
それこそ寝る間を惜しんで練習とアルバイトに明け暮れ、とにかく青春を謳歌していた。

▼当時の僕。20歳を過ぎてすぐに音楽を諦めスティックを置くことになるのだが。

そんなある時、地元では有名な先輩バンドと出会うことになる。
非常に良く可愛がっていただき、僕も皆さんを兄貴的な存在として慕っていた。

しかし!ここで「参号」と言う名前が付くことになるのだ。
皆さんはこの「参号」と言うあだ名にどんな意味があると思うだろうか?
語呂遊びなのか、ダジャレなのか、はたまた意味なんかないのか。

、、、そう!意味なんかないのだ。

先輩はある時こう言い放った。
「お前らの名前覚えるの面倒だから順番に、1号、2号、3号な!」

ただの順番でついた名前なのだ。
そんな名前に愛着が持てるはずもない。
しかしこれがまた不思議なもので。

「参号」と言う名前がついて以来、もうどこに行っても「参号」と呼ばれるし、「こいつ参号!」ってな具合に紹介もされるようになる。

そうなってくるともう自分の意思とは裏腹に、皆の認識が「参号」になる為、良いとか嫌ではなく、ただただ僕は「参号」になっていくのだ。

呼ばれることにも慣れはじめ、本名で呼ばれることもなくなっていく頃。
なんとなく「参号」と言う名前を受け入れ、そして愛着が生まれはじめる。
そして今では自分の名前を看板として、ブランドを「SANGOU」と名付けるまでになっているのだ。

ただ、そんな「参号」を一度だけこの名前を捨てたことがある。
それは27歳の時に独立して今のデザインの会社を作った時だ。

10代の頃の関係性でついたあだ名を、これから作る会社・仕事でも使うと言うのは、どうにも気が引けた。ふざけすぎではないか、と。

僕は、本名を「菊田桂輔(きくたけいすけ)」という。
そこで、流石に名刺は、という事で本名で名刺を作り、メールアドレスやHPの何から何まで本名で登録した。

その結果、僕は取引先関連から全然連絡をもらえなくなってしまった。
というのも。
10代からずっと、音楽、デザインと道を進む過程を全て「参号」で生きてきたために、全ての人間関係が「参号」でできていたのだ。(わかってたけど)

つまり、僕の本名なんて誰も知らないのだ。
そのため急に連絡してきた「菊田桂輔」が誰だかわからないという状況が生まれてしまう。

ある時取引先にこんなことを言われたことがある。
「参号は参号なんだから参号って言われなきゃわからんよ」
そうか、僕はもう「参号」無しでは生きていけないのだ、とその時に気づき、それ以来僕の名刺は「菊田参号」になったのだ。

今となっては本当にありがたい名前となった「参号」というあだ名だが、昨今「あだ名」というものは「いじめ」の対象であるとされ、学校では禁止されていると聞く。

もちろんそういったこともあるとは思う。
特に身体的特徴を捉えてしまうということは、本人にとっては耐えられないこと、ということもあるだろう。

しかし、人間関係を作る時に非常に有効に使える「あだ名」というものもある。
一概に全てを禁止、排除するという流れは、僕個人の見解としては「なんだか寂しいなあ」、と「あだ名」で仕事をしてきて、共に生きている僕としては思ってしまう。

僕は「参号」というあだ名に誇りを持ち、これからも「SANGOU」という看板を背負って生きていこうと思う。

やめられなくなったことから始まり、愛すべき名前となった参号が、ブランド「SANGOU」の名を冠するようになったお話はまた今度。